主の臨在の中で生きていきたい

さっき聖書を読んでいて教えられたことがあるので、分かち合います。


神は高ぶるものに敵対し、へりくだる者に恵みを与えられるからである。Ⅰペテロ 5:5

高ぶる者とは、神を必要としない者。自分の力で、全てをやろうとする者。
バベルの塔を建てた人々は、神を必要とせず、自分の力でやろうとした。
それゆえに神はバベルの塔を建てようとした人々に敵対し、言葉を混乱させた。
彼らが、高ぶっていたから。神を必要とせず、自分の力でやろうとしていたから。
それと反対にへりくだる者はいつも、自分の力で行うのではなく、神の力によって歩む者。
へりくだる者はいつも、自分の前に主を置き、自分はできませんので主が助けてくださいと、
いつも主により頼み、心を注ぎ、歩む者。

心を尽くして主により頼め。自分の悟りに頼るな。
あなたの行く所どこにおいても、主を認めよ。
そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる。箴言3:5,6

心を尽くして神にいつも依り頼む。心から。
自分の悟りに頼って行うのではない。
いつも何をするにも、本を読むにも、facebookを見るにも、ラインを見るにも、
何をするにも心を尽くして主に依り頼む。
自分の悟りではなくて行く所どこにおいても、そこで、神、主を認める。
学校でも、トイレでも、部屋でも、リビングでお菓子を食べる時も。
スマホを手にする時も、祈る時も、どこでも、どこにおいても。
寝る時も、寝る前も。
そうすれば、神、主は僕らの道、人生をまっすぐにしてくれる。その歩みを。
その時間、その瞬間、いつも、今晩も、主を認めて歩む。
部屋でも、教会でも、サークルでも。食事前にも。

私はいつも、私の前に主を置いた。
主が私の右におられるので、私は揺るぐことがない。
それゆえ、私の心は喜び、私の魂は楽しんでいる。
私の身もまた安らかに住まおう。 詩篇16:8,9

いつもダビデは、そしてイエス様は自分の前に主を置いて歩んでいた。
いつも主をダビデは思い、一日中、何をするにもどこででも、主を置いて主と話し、主を認め、
主を意識して、主により頼み、主に頼り、主に助けを祈り求め、主の御霊の声を聞いて従い歩んでいた
それゆえ、主が、ダビデの右にいることをダビデは心から感じていた。主の臨在をいつも。

僕も高3の障害者施設でアルバイトしていた時、朝5時半からの出勤だったので、朝3時50分に置きて、4時くらいから、朝、1時間弱くらい、ノートに賛美を聴きながら、真っ暗な夜の中、部屋で小さなライトをつけて心を注ぎだして主に祈り、毎朝、週4くらいやったけど、アルバイトしていた。その時は、そのバイトがきつくてたまらなかった。何よりもそこで働いているおばさんが苦手だった。ボロボロに毎回言われて、
何度も涙をこらえた。バイトは朝5時半から11時まであった。そして仕事が終わって家にかえる時、ほとんどいつも、僕の目から涙が溢れてきた。「神様、なんでですか、きついです。でも、感謝します。愛してます」って、祈りながら、自転車にまたがり、詩篇23篇を何度も口に出した。
「主は私の羊飼い。私は乏しいことがありません。主は私を緑の牧場に伏させ、いいの水のほとりに伴われます。主は私の魂を生き返らせ、御名のために、私を義の道に導かれます。たとえ、死の陰の谷を歩くことがあっても私は災いを恐れません。あなたが私と共におられますから。。。」ここまで言うと、またポロポロと、涙が何度も出てきて、口ずさんだ。きつくても、死の陰の谷のように感じても、主が共にいてくださると感じて、心は平安で満たされた。そして少し落ち着くと、また続けた。
「あなたのムチと、あなたの杖、それが私の慰めです。私の敵の前で、あなたは私のために食事を整え、私の頭に油を注いでくださいます。私の盃は溢れています。まことに私の命の日の限り、慈しみと恵みとが、私を追ってくでしょう。私はいつまでも主の家に住まいましょう。」これを何度か口ずさむと、僕の心は完全な神様の平安で満たされて、家に帰る自転車の帰り道は、涙から、喜びの叫びへと変わり、自転車にまたがり急坂をかけ登りながら、賛美を大声で歌っていた。そして家に着く頃には、喜びで満たされて、感謝で満ち溢れて、家に着くのだった。その時は、バイト中、いつも心の中で神様に祈っていた。絶えず、心の中で、異言で祈っていた。そして、辛くても、神様の臨在を、強く強く、感じていた。あれから3年経って。
今僕は、オーストラリアのホストファミリーの家で、自分の部屋で、賛美を流しながら、今、夜、10時39分、ベットにもたれかかりながら、このブログ書いている。

ダビデは私は揺るぐことはないと告白していた。
それほど圧倒的な平安が彼のうちにあった。イエスが隣にいることを知って感じていたから。
主と共に生きていたから。
いつも友なるイエスは一緒。
それゆえ、ダビデの心は喜び、彼の魂は楽しんでいた。
そして彼の身も、安らかで、平安で住んでいた。
心とたましいと身の圧倒的な平安と主の臨在。
それをダビデは、日々、体験していた。
そして僕も、体験している。でもこれからますます体験するようになるだろう。
何をするにも、どこででも、いつもいつもますます主を前において、歩んでいきたい。
朝起きて、1日を始める前に。そして日々、どこにいくにも、何をするにも。
イエスの歩みもそうだった。イエスこそ、父に究極により頼み御霊により生きていた。
そのように歩んでいきたい。主の前にへりくだる者に、天の父は、恵みを授けてくださる。
そしてすべての道をまっすぐにし、素晴らしく祝福して揺るがない圧倒的な平安と神の臨在で満たし、
心とたましい身も圧倒的な臨在の中で、歩ませてくださる。いつも、神と共に生きる者。。。
そのような人を、主は大いに祝福してくださる。そのような人としていつも造り変え、歩ませてください聖霊様、イエスの御名でお願いしますアーメン。

その人は、水路のそばに植わった木のようだ。
時が来ると実がなり、その葉は枯れない。
その人は、何をしても栄える。詩篇1:3

何をしても栄えるようにしてくださる。僕らは、何をしても栄えるようになる。
それは悪を離れ、主の教えを喜びとし、神を愛し人を愛し、昼も夜もその教えを口ずさんでいるから。
昼も夜も、いつもいつも。神の臨在、圧倒的な神の臨在の内を歩むへり下った者、栄える者、
揺るがないクリスチャンとして生きる神の子として、ますます、主の臨在で歩んで行かせてください。



主よ。ありがとうございます。いつもあなたを前に置き、へりくだり、圧倒的な主の臨在の中で歩む者とさせてください。イエスの御名で祈ります。アーメン。聖霊様、そのような者へますます造り変えてください、イエスの御名でお願いします。アーメン。


毎日の自分の歩みを振り返って書き出してみると、僕は主を前に置いていなかった領域がたくさんあることに気づかされた。そしてこれらのことを行う前に、いつも主を前に置いていきたいと思った。
そして、もっともっと、主の臨在の中で歩みたい。ダビデのように、主の臨在のゆえにいつも、
心喜び、魂が楽しみ、身も安らかに、圧倒的な主の臨在の中を、歩む者でありたい。

起きる前に、顔を洗う前に、髭を剃る前に、ワックスをつける前に、トイレする前に、スマホでユーチューブ開ける前に、みことば読む前に、シリアル食べる前に、ランチ作る前に、水筒に水入れる前に、家を出発する前に、バスで祈る前に、芝生で祈る前に、授業の前に、ランチ食べる前に、帰る前に、バスで祈る前に、本読む前に、ナッツやお菓子、コーヒー、ココア飲む前に、昼寝する前に、散歩する前に、食事する前に、ゆっくりする前に、聖書読む前に、メール返信する前に、シャワー浴びる前に、寝る前に、サークル始まる前に、食べる前に、みことば読む前に、賛美する前に、人と話す前に、電話する前、手紙書く前に、1日の計画を立てる前に、一週間の計画を立てる前に、予定入れる前に、何かを買う前に、献金する前に、お金の使い方計画する前に、予定立てる前に、電車乗る前に、トラム乗る前に、祈祷会始まる前に、みことば聞く前に、


いつも、主を前に置く者とさせてください。そして、
主がいつも私達の右にいて、揺るぐことのないようにしてください。
あなたの臨在のゆえにダビデが喜んだように、
私達も、主が右のおられるので揺るぐことなく、心が喜び、魂が楽しむようにして、
私達の身も、安らかに住まうようにしてください。
心を尽くして主により頼み、自分の悟りに頼らず、
私達のいくところ、どこにおいても主を認めさせてください。
聖霊様、そのように私達を作り変え、導き助けていてください。
いつもあなたの前でへりくだり、あなたの恵みにより、
水路のそばに植わった木のようにして、何をしても栄える者としてくださいますように、
イエスの御名でお願いします、アーメン。
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大学2年生で兄弟が8人います!

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